フランス花の都は腐ってもパリ。傷を癒したりノスタルジックにひたり、気休めにはちょうど良い街。知人のフランス人は未婚で子供をかかえて大変働いているが、果たして労働者のあのすごい税金はその都にきちんと水やりをしているのだろうか。花の香りは80年も前にとうに消え、腐りはしないが枯れている。乾燥した街にさまざまな人種の汗の匂いがプリフィクスされ、最後に香水をふりかけるボナペティなパリ。そのくらくらとする匂いでメトロはさながら陽炎。実際のところ、ピアフもヴィアンもサンローランもいないパリにどんな用を作って参ろうか。が、やはりパリはパリ、ずっとパリ。愛という言葉はパリと同じ。
さてアメリカはニューヨーク。町に暴徒と酒ビンが転がっていた通りには花が植えられ、映画産業もクッキングブックもニューヨークが付くと少し嬉しいこの感覚。ヴィアンとギンズバーグを足して2で割ったようなイージーゴーイングなリチャード・ヘルにも会える。10代に死ぬほど憧れたニューヨークだが、当時の願いがかなっていたら、私は本当に死んでいただろうな。夢のニューヨークは音楽とアートが人間の生き血を啜り、強大な力を持って人々を滅ぼしていったのだから。その甘い毒牙より命からがら抜け出した人々は今すごい笑顔。ザ・ゆるいニューヨーク、NOW。アメとムチがいつも振るわれているよな街。
人は水平線を見ながら、水辺の長い葦をなんとなく、手元にたぐり寄せて浮いている。叶わない恋と夢だけが永遠の命を約束され、私達はいつか滅び、知らない街が生き続ける。
さて、大人になった私達は どこへいこうか。